ひのすけまるの珍道中

ひのすけまるです。ハワイへの一時逃亡予定が勢いあまってロサンゼルスに行っちゃうっていう記録です。

ハワイとロサンゼルス奇跡みたいなコト

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こんばんわ。またもや久しぶりの更新です。

あれから一ヶ月とちょっと。無事に企業チェンジをすることができて、ただいまロサンゼルスに生息しております。この一ヶ月嘘みたいにバタバタして、たくさん色んな事を考えて、たくさんお金を使って、そしてたくさんの人にお世話になりました。

なにから書いていいか分からないんだけど、ハワイ後半の事を少し書こうかと思っています。

わたしの企業チェンジが確実に決定したのは10月31日。ハワイでのお仕事最終日でした。その時点で実はもうロサンゼルス行きの片道切符も購入済み、住む家も探し住み、車の免許も取得済み、あとは移動するだけっていう状態だったのですごくほっとしました。

まあ、どうなっても最後の一ヶ月はロサンゼルスで生活しようと思って進めていた移動の準備だったので、無駄になる事はなかったにしても、この後あと1年間アメリカで生活する事ができるという良いのか悪いのかわからない切符をいただけたわけですから、その時にはやっぱり嬉しかったです。

確実にロサンゼルスで生活をすることが決まってからは、色んな人にお別れ会や思い出作りをしてもらいました。たった(?)5ヶ月の間にこんなにたくさんの人に出会って、こんなに良くしてもらえてたんだなーとしみじみ思いましたし、後半になって急に色んな話しをするようになれたお友達もいました。なんなんでしょうなあ。海外で出会った人との「じゃあねー」「またねー」は、途方もなく遠いところにあるように感じてしまいますね。

そしてハワイ最後の日には今思い出しても奇跡みたいな体験もしました。あまりにも嘘みたいな出来事なので、ちょっと記録しておこうと思います。 

ハワイ最後の日11月5日。その日の夜11時にわたしはホノルル空港を飛び立つ予定になっており、最後の日はルームメイトとそのお友達と3人で夜ごはんに行く約束をしていました。

夜ごはんの前に最後のチェックをしていたら、ポストに手紙が届いていたので中を見ると、ハワイであわてて取った運転免許証が届いていました。移動後にルームメイトに転送してもらうつもりでいたので、あらやだラッキーくらいの気持ちで免許証を財布にいれ、そのまま3人で夜ごはんを食べに行きました。

食事に行った場所は、話しさえ出来れば良いよねってことでロイヤルハワイアンセンターのフードコート。そこで将来の話しやら今までの思い出なんかを延々と話し、最後の夜にふさわしいわーなんて思いながら飛行機の時間3時間前になったのでフードコートを出て家路に向かいました。

最高完璧!なんて思っていたのに、帰り道の途中で財布がない事に気がついちゃったから大変。最後に財布を持っていた場所はフードコートという記憶しかなく、頭は真っ白。日本の免許証もハワイの免許証もクレジットカードもデビットカードも全部入ってる財布をなくしたんですなー。あほですなー。

冷静になれー冷静になれーと、まずはフードコートの自分たちが座っていた席を確認しにいくと財布なんかありません。あたりまえ。いちお念のために周りに座っている人々や掃除のおばちゃんに、財布を忘れた事、財布の色、形を伝えて聞きまくったけれどあるわけありません。あたりまえ。

で、3人のなかでもしっかりもののルームメイトのお友達が、こういうところには防犯カメラがあるからそれを見せてもらおうという事になり、セキュリティーセンターに移動。今の状況とわたしが今夜ハワイを発たなければ行けない事を伝えビデオをみせてもらえないか交渉すると、警察に届け出ないとビデオを見せる事はできないとの事。

悩んだ結果、とりあえず財布の面影だけでも見られれば…という気持ちで警察のお世話になることにし、一通り事情徴収されたあと、ビデオには何も写っていなかった事を知らされました。

これでもう何も出来る事はなくなったわけですが、ロサンゼルスに到着してからすぐ予約してあったレンタカーの事、クレジットカードの事、日本の免許証の事を考えるとちょっとどうしていいかわかりません。という感じでした。

亡骸みたいに足を引きずってトボトボ家路に向かうわたしに変わって、ルームメイトとそのお友達が銀行のカード停止センターを調べてくれたり、ハワイの運転免許証の再発行について調べてくれてたりしてましたね。ダメダメな人間の周りにはなぜかしっかり者が集まりますね。素敵なコトね。

そういうわけで色んな物を全部なくし、唯一あるのはへそくり袋。飛行機を1日遅らせてハワイの免許証を再発行するか、はたまた全てを捨てて飛んでゆくか…3人で会議を開き、飛行機に空きがあるか探してみる事にしたその時であります…

家のドアをものすごい勢いでノックする音がしたのであります。

びっくりしながら恐る恐る3人でドアをあけると、そこには警察官のおっちゃんが立っていました。そして「ひのすけまるはここにいるか?」と言うのです。

そうなのです。警察官のおっちゃんがわたしの財布をたまたま拾ってくれていたんです。わたし達が財布を紛失して警察に届けていた事など知らず、たまたま偶然ロイヤルハワイアンセンターに何かを飲みに行ったら拾ったと言っていました。そして届いたばかりのハワイの運転免許証に書いてある住所をみて、わざわざ届けてくれたのでした。ハワイの免許証が入っていなかったら他に家の住所を示す物はありませんでした。すごい。

警察に届け出ていた事を伝えると、書類をつくるのが面倒だから直接届けちゃったテヘッみたいな事を言ってました。そしてこれもすごいんですけども、この警察官のおっちゃん、ルームメイトがハワイに来たばかりの時に財布を無くした時にも財布をみつけてくれたのだそう。

こうして財布が手元にもどってきたのがフライトの2時間前。クレジットカードも2枚あるうちの1枚は止める前だったし、バタバタと家を後にしてロサンゼルスに向かったというわけです。

財布をなくさなきゃ良かっただけのことなんですけども、色んな偶然と色んな奇跡みたいな事が重なってお財布が手元に戻ってきてとても不思議な気持ちでした。

中身ももちろんなんですけど、とても大切なお財布だったので戻ってきてすごくうれしかったし、もうなくさない!大事にする!ハワイありがとう!と思った出来事でした。

ロサンゼルスに来てみて思う事。

ロサンゼルスに住む人とはまだまだ出会っていないけれど、思い返すとハワイの人はみんなやさしかった。日本しかり、ハワイしかり、離れてみなきゃわからない事がとてもおおい。だけど、離れてから気がつくくらいならば離れる前に良いところをしっかり見ていこう、と思う。

そして最近は毎日のように駐禁を切られていて本当は泣きそうなんですけど、これもいつかは笑い話になるんだと思ったら何が起きても全然平気と思ってしまう。強くなったのか図太くなったのかわからないけれど、珍道中ステージ2がはじまったわけでありました。

(ブログ)さぼってた間にあったコト

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こんにちわ。ひのすけまるです。

随分長い間放置してしまっていました。しようと思えばいくらでも言い訳なんてできるんですけども、それもあんまりなのでそこらへんは端折って書こうとおもいます。この放置していた一ヶ月の事を。

まず、前回ちょっと書いていたシリコンバレーの会社の面接の事。結果はとりあえず採用通知をいただきました。そのあといろんなことがあって、この会社で働く事をわたしは選べませんでした。

簡単に説明すると、わたしはJ1というビザでアメリカにきているのですが、このビザはひとつの受け入れ先企業で研修という名の仕事をすることが前提のビザなので、受け入れ先を変更するなんていうことはあまり良い事ではないのですね。やむおえない理由があった場合には、受け入れ先を変更しても良いという許可がおりるのですが、その許可をくれるのはアメリカ国内にいくつかあるNPO団体からもらう事になり、きちんとした理由が認められないと「研修がいやなら日本に帰りなさい」と言われて研修終了ってこともあるわけです。

もちろん受け入れ先側にもその NPO団体が認める条件というのもあり、シリコンバレーの会社はそれを満たしていなかったというわけなのです。まあそういう事もあります。

というわけで、なにもかも宙ぶらりんなまま、移動先を求めていろんな会社にレジュメを送る日々がはじまりました。前回の日記を書いた段階では、ハワイに残る選択肢もあったので、ほんとうに宙ぶらりんでした。でも、漠然ともうちょっとデザインをがっつりできる会社に行きたいなーなんて思いながら、寝る前にぼろぼろであろう英文レジュメと、唯一の武器であるポートフォリオをいろんな制作会社に送るという地味な作業をしつづけました。

そして、数打ちゃあたるのかなんなのか、いくつかの会社と面接をする機会をいただけ、中にはNPO団体に受け入れ先として認可してもらうために弁護士まで用意してくれる会社も現れ、これはちゃんと今の会社にも話しをして次に進む準備をしなくてはなーと思い、自分が担当していたセクションのリリースが終わった日にいまの会社に退職すると伝えました。やれる事は精一杯やったつもりでいたし、会社側もちゃんと見ていてくれたのか?ひのすけちゃんはWEBの人だもんなー WEBの会社いけるなら行きなーっていうゆるめのお返事をいただけました。

これでとりあえずひとつ駒を進められたわけだけど、残りの問題がものすごく大きい。

まずは NPO団体にわたしの受け入れ先変更許可をもらわなければいけないこと。そして、次の受け入れ先をみつけること。

次の受け入れ先は、採用通知をいただいた会社の中で、 NPO団体のサイトビジット(受け入れ可能な企業かどうかを調査しに行くテストみたいなもの)も受けてもかまわないといってくれた企業があったので、その会社にJ1ビザ研修生の受け入れの準備をすすめてもらう事になり、(まだ受け入れ OKの返事がもらえるかどうかはわからない状態でありますが…)なんとなく落ち着かないまま毎日をすごしていたわけなのですが、もじもじ中に嬉しい事が決まったりもしました。

NPO団体がわたしの受け入れ先変更を許可してくれたのです。これが一番難関と思っていたので、次の受け入れ先が決まればアメリカで働いていいよっていう切符をもらった事になるので、この決定は大分前進という感じではあります。

さて、そういうわけで現在の状況は、受けれ先の変更を認めてもらえ、次の受け入れ先がNPO団体の審査中で、その審査が通れば無事移動決定!という状況なのですが、全ての決定のデッドラインは11月末日。受け入れ先が見つからなければ日本に帰ることになるのだけど、どうせだったら残りの期間は本土ですごしたいよね、ってことで次の受け入れ先予定企業があるロサンゼルスに移動する事を決めました。

といっても、いまの会社で10月末日まで仕事をすることになっているので、仕事を最後までしたあと、ばたばた片付けをして11月5日の夜の便でハワイを発とうと思っています。いざ離れるとなると、あそこもここも行っておけばよかったかなーなんて思いもわいてくるのですが、意外と忙しい合間をぬっていろんなところに行けた気がしているし、とくに文化面(舞台とかそういうやつ)は沢山楽しめたんじゃないかなって思っていますよ。

とにかく忙しい上にいろんな事がありすぎて、気持ちの整頓もできてるんだかできていないんだかわからなかったのですが、久しぶりにまとめてお休みをもらえたのでブログに書いてみました。ほんとうはもっと沢山書きたい事があったんだけど、これからまたぼちぼち書いて行こうと思っています。

しかし本当にいろんな事があって、ひのすけまるの珍道中になってまいりましたね。

大使館面接のこと <面接編>

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こんばんわ。ひのすけです。きょうは、海外在住経験者ほとんどの人が口を揃えて「出国まえに歯医者にいけ」というもんで、仕事の後に重い腰をあげて歯医者にいってきました。お医者さんも、「あんた日本で歯医者に来て正解!」みたいな反応でよかったんですけど、歯のクリーニングをして終わりました。

さてさて、きょうは大使館面接についてやっとこさ書く事ができそうです。
面接当日はアドレナリンがすごくて、世界が輝いて見えたのですけど、いま全然輝いていないので、感動と興奮を伝えられるか不安ですけど書いてみます。

 

まず、わたしが面接の予約をしたのは、大阪の大使館でした。
13:30の予約だったんですけど、前日に大阪入りしていたので、当日は時間がありあまってしまい、ネカフェで面接に備えてgoogle翻訳をぼんやりとみつめるという時間が2時間ほどありました。大使館前に到着したのは13:15くらい、その時点ですでに20人ほどの人が並んでいました。夫婦で来ている人や、アメリカ人や、学生など、とにかく色んな人が居ました。

時間が来て、大使館に入れるようになるわけですが、入館前に書類チェックがあります。担当の人が、書類をざっとチェックし、問題なさそうであれば入館です。
入館すると、すぐに空港みたいな持ち物チェックをされ、パソコンや携帯を預け、3階に移動します。3階では、書類の細かいチェックと日本語による質疑応答がありました。
担当の人は、「J1ビザは聞く事がおおいです」という前置きをしたあと、

  • 最終学歴
  • 職歴とその内容
  • アメリカでのポジション
  • DS160の内容にそった質問

をざっくりと聞かれました。ここは面接ではないので、詳しく答える必要はなく、担当者が欲している回答を単刀直入に答えるとスムーズです。ここで、古いパスポートや、修正するのに複数作成したので持っていったDS160のコピーのいらない分を返却されました。チェックがおわると、階段を使って2階に移動です。

2階はいよいよ面接する部屋で、銀行の受付みたいな窓口が5つくらいありました。
ガラス越しにマイクを使って面接をします。わたしは最後の方だったんですけど、様子を見ていると、みんな日本語で面接していたので、ビザの種類が違うんだろうなーと思ってみていました。

いよいよわたしの番になり、指全部の指紋をとったあとに、面接開始です。

事前調査では、挨拶は日本語だった、とか名前は日本語で聞かれた、とか聞いていたので、最初は日本語かなーとか思っていたのに、いきなり英語で質問がはじまってびっくりしました。聞かれた事と回答は、

 

(1)アメリカにいく目的は?

  「インターンシップです。トレイニーとしていきます。」

(2)何の会社なの?

  「出版社です。」

(3)どんなものを出版しているの?

  「フリーペーパーとか飛行機機内の雑誌とか!!」

ここで、フリーペーパーという単語をつかってしまったのがいけなかった。フリーペーパーって和製英語なんですね。面接官が首をかしげてウーンっていう仕草をしたので、どうしようー死ぬー単語おもいつかないーって思っていたらニュースペーパー?って聞いてきてくれたので、イエーッスイエッス!って言ったらフムフムという感じで納得してくれました。

(4)あなたはデザイナーとして経験が十分あるのになんでトレーニングするの?

  「今まではWEBが主な仕事だったので、出版も経験してみたいと思っている。

   やってきた事を試してみたいし、プロジェクトマネージメントも学びたい
   し、アメリカと日本のデザインは違うからそこにも興味がある。」

これは聞かれるだろうなと思っていたので、答えを準備してたので助かりました。DS7002の研修内容に、プロジェクトマネージメントという項目があったのでなんとなくつじつまもあってたとおもいます。

 聞かれたのはこの4つ。最後に「1週間くらいでビザが届きます。」と言われて終わりでした。緊張もしてるし、ガラス越しで聞きにくいし、だいぶめちゃくちゃでしたけどなんかビザもらえました。基本的に、面接とはいっても最終確認という感じで、書類に不備がなければ、いじわるな質問はされないそうです。

ただ、注意しなくてはいけないのは、あくまでもアメリカにトレーニングに行くという事なので、「仕事」という単語だったり「お給料」という単語は使ってはいけないそうです。それからトレーニングが終わってから必ず日本に帰国するという意思表示をする事も重要だそうです。わたしは帰国後の復職レターをもっていったので、そこら辺は聞かれなかったのかもしれません。

 

というわけで、無事にビザが発行されたので、パスポートやらビザやらが手元に返却されるのを待って航空券をとりました。緊張がはんぱなくて、これでだめだったらもう結婚して子供産んで主婦として生きていこう…くらいに腹をくくっていたのですが、とりあえずビザがもらえて安心しました。

そして、何よりとてもよい経験ができたなーと思います。あちらに飛んでからがまさに珍道中なんだと思いますけど、飛ぶための権利を持てた事でちょっとだけ自信を持てた気がします。渡航までいよいよ10日をきったわけですし、そろそろベランダに干したリュックサックに荷物をつめ始めようとおもいます。

 

大使館面接のこと <予約編>

こんばんわ。ひのすけまるです。

明日から送迎会とか歯医者とかポツポツ予定が入ってきたので、書けるときに書いちゃおうと思って書いています。きょうは大使館面接について書いておきます。

まずは大使館面接の予約をしないといけないのですけど、今年の3月から面接の予約のシステムが変わり、個人で面接の管理なんかができるようになったようです。

米国ビザ申請

↑ このページで面接の予約とかその他もろもろできます。IDをつくってログインしまくりましょう。申請の流れはここ(非国民ビザ申請:ビザを申請する)に載っています。

<申請前に手元に用意しておくといいもの>

  • 写真のデジタルデータ(背景白で撮影したもの)
  • SEVIS番号(交流訪問者ビザ申請に必要)
  • トレーニングのプログラムナンバー(DS2019に記載してあります)
  • パスポート

ここら辺を手元に置いておくとスムーズです。上記は全部DS160作成に使います。

<面接の予約に必要な物>

  • DS160の完了画面記載のID
  • ビザ申請料金支払い時に表示される11桁の番号

という感じです。申請時に注意することは、料金の支払いの際に、支払いページに行くとでてくる11桁の番号が、ビザの予約の際に必要になってくるので、必ずメモしておく事。それから、DS160の作成はこまめに保存する事、DS160作成画面の右上に出ているIDをメモしておく事です。このIDをメモしておけば、途中まで作成して保存しておいたDS160を呼び出して編集が可能です。

ただし、一度作成を完了させてしまうと、再度途中からの編集&修正はできません。最初から作成しなおしです。面接の予約には、DS160の作成完了画面にでてくるID番号と、支払い完了時に入力した11桁の番号が必要になりますが、予約完了後のDS160の修正、つまり作成しなおしは何度しても大丈夫だとおもいます。

 

実際わたしも、面接の予約が完了した後、DS160を2回も作り直しましたよ。1回作るのに大体1時間強かかるので、慎重に1回で作るにこしたことありませんけども。

ちなみに、何度も作り直しをすると、DS160のIDを複数持つ事になるわけですが、面接には最新の物を持っていけば問題ないと思います。わたしは面接予約時に入力したIDの入った完了画面を印刷したものと、最新のIDの入った完了画面を印刷したもの、両方持っていきましたが、書類チェックの時に最新の物意外はイラネっつってその場で返されました。

 

あとは、DS160はかなり細かい事も記入を求められます。職歴はもちろん、パスポートの紛失歴とか、親族以外の連絡先とか、アメリカへの過去5回の渡航歴とか。

めんどくさいし、割愛したい…と思ったりするかもしれませんが、しないかもしれませんが、わたしはしましたが、すべて正直に書くにこした事ありません。

随分古い事例ですが、アメリカへの渡航歴が多すぎて書くのが面倒だからといって、書かなかった事でビザが却下になったという話しを聞きました。いつ渡航したか忘れてしまった場合でも、おおそよその目安でいいので記入しておくほうがよさげですよ。

 

そして予約が完了したら、面接に持っていく書類をまとめて挑むのみであります。ちなみに、必要書類はハワイロードさんがとってもわかりやすかったです。ページの下の方にある、J-1ビザ申請書類ファイル順番図っていうのを参考にしました。補足書類として、わたしは日本に帰国後に就職先が決定しているといった復職レター(英文)も用意していきました。面接の時にこの補足書類に関して何か聞かれたりはしませんでしたが、エージェントさん曰く、効果があったに違いないそうです。

 

<ビザ面接に持参する書類>

  • パスポート(有効期限がきれた古い物もあれば持っていく)
  • DS160完了画面を印刷したもの(ビザ申請費用の領収証を添付)
  • 補足資料(DS2019・DS7002・SEVIS費領収書・残高証明などの補足資料)
  • 面接予約確認書(面接予約確認ページから印刷可能)

※ 持参するファイルの中に、DS160完了画面をプリントしたものに、ビザ申請費用の領収証を添付、とありますが、これはクレジットカードで支払いをした場合は必要ありません。

 

というわけで、ビザ面接の予約について書いてみました。記憶が消える前に。

毎回書いている途中で飽きてくるっていうだめ人間っぷり発揮で、だいたい後半端折りまくりっていう相変わらずの内容ですが、こんな感じです。そして次こそ本当に面接について書こうと思います。忘れる前に。

DS2019のこと

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こんばんわ。ひのすけまるです。

きょうはDS2019の事を簡単にかきます。(ぶっちゃけ大分ステップ系あきてきた)

DS2019ていうのは最初の記事で書いたんですけど、J1ビザを申請するために必要な書類で、この書類を発行してもらうのが割と面倒です。J1ビザ申請前の一番の難関だとおもいます。っていうのも、用意しないといけない書類が沢山あるのです。

  • 大学の卒業証明書(英文)
  • 大学の成績証明書(英文)
  • 残高証明書(英文・10000ドル以上・ドル建てで)← ビザ申請にも使います
  • いままで所属していた会社の推薦状(英文)× 2通(さかのぼって直近2社)
  • パスポートのコピー
  • 写真

多分こんな感じです。これに加えて英語インタビューです。思い出しても面倒。

正直、エージェントからこの書類を用意してくださいって言われたときに、わーこれは面倒だどうしよう、もういやだって思いました。でも、ちまちま揃えているうちになんとなく集められました。一番苦労したのは、推薦状です。

この推薦状のおかげで、会社を辞めようと思ってることがバレましたし、実際このタイミングで退職届けを出しました。そう、逃げられない事態になったというわけです。マイッタマイッタ。

わたしがDS2019の申請・発行のために書類をあつめはじめたのが3月上旬、実際に全部揃えてエージェントに提出できたのが4月の中旬だったと思います。J1ビザをスムーズに取得したい人は、前もってこれらの書類を揃え始めるとよいと思います。

無事に書類をすべて揃えて、DS2019を申請してからも、発行には2〜3週間かかります。却下されたり、書類の追加提出なんかがあるともうちょっとかかるかもしれません。 

エージェントと契約して、受け入れ先の会社を決めるのに大体1ヶ月、DS2019の申請に、2ヶ月くらい、ここまででもう3ヶ月です。海外いくぞー!と、思って燃え上がっても、実際に渡航できるのは、大体4〜5ヶ月後くらいが目安なのかなと思います。そうこうして無事に手元にDS2019が届いたら、おそらく一緒にDS7002というトレーニングプランも入っていると思いますので、これらに目を通しておくといいらしいです。大使館面接で聞かれる事が多いらしいですよ。(わたしは聞かれませんでしたけど)

 

というわけで、きょうも駆け足でだーっと書いてみました。

DS2019が手元に届いたらいよいよビザ面接です。面接の予約がまた面倒なんですけど、なかなかできないいい経験だと思いますし、どうせなんで楽しんで準備できるとよいですね。わたしはだいぶ発狂しましたけど。

 

エージェントとの契約とか

こんにちわ。ひのすけまるです。

今日は福岡はぽつぽつ雨がふっています。きのう慣れないフェスに行ったりしたもんだから、疲れ果てていて、目覚めたのは15時すぎという自堕落な日曜日です。

この記事では前回かいたビザ取得の大まかな流れの続きを書こうと思っています。

 タイトル通り、エージェントの契約についてです。

ネットで色々情報をあつめてると、J1ビザってわりと不安をあおる情報がおおいなーって感じる事がおおかった気がします。実際わたしも、調査中に色んな情報で不安になり、大丈夫なのかーこわいぞー!と、夜中に眠れなくなったりしたので、自分が実際に問い合わせしたり、やり取りしたり、契約させてもらった会社を紹介しておきます。

アメリカインターンシップ

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実際に契約からJ1ビザ取得までお世話になった会社です。受け入れ先決定までの担当者さんとJ1ビザ取得までの担当者さん2人とやり取りさせていただきました。紹介してもらった受け入れ先は1社で、今回はそこに決定しました。奨学金アップの交渉なんかもしてくれて、とても助かりました。
 

AIT work abroad

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受け入れ先の面接までさせていただきました。紹介してもらった受け入れ先企業は2社、両方とも受け入れしてくださるとの通知をいただいたのですが、奨学金、研修条件などが希望にあわず残念ながらお断りしてしまいました。しかし、担当者さんはとても親身になって話しをきいてくだいました。
 

というわけで2社、実際にわたしがやりとりした中でも、よかったところを書いてみました。個人的に相性がよかったというのもあると思いますけども。

ちなみに、アメリカインターンシップさんは本社がLAで、おそらく日本に支社はないと思われます。なので、コストの削減ができているのか、仲介の費用という面ではダントツに安いと思います。そして、わたしが取得したDS2019の発行機関(全米の各州にある)を見ると、CA(カリフォルニア)になってるので、自社がある州でDS2019を申請するという合理的っていうか、自然な流れで申請できているのかなとも思いました。

AITさんは、たしか日本に支社があり、NYに本社があるかその逆かだったと思います。やりとりするのは主にNYのスタッフでしたよ。

 

という感じでエージェントの紹介をしてみましたが、まずは気になるエージェントが見つかったら、コンタクトをとって、実際にスタッフと話しをしてみることで、どういう感じの会社なのかわかるのかなーと思います。エージェントを入れるという事で、そこそこ費用もかかるわけですし、よい会社&よい担当者さんと出会えるとよいですね。

この記事を書いている間、同居人がオノ・ヨーコの、金魚が死んだ〜みたいな曲を大音量でかけはじめたので、集中できないから頼むから曲を変えてくれ、カフェっぽいのにしてくれといった一悶着を乗り越えてざっくりですがエージェント選びの記事はここまでとします。出国まで残り13日です。

次に気が向いたらいろいろ飛ばしてビザ面接について書いてみようとおもってます。

まて次号。

ビザ取得のおおまかな流れ

こんにちわ。珍道中2つめの記事。

今日、ハワイ行きのチケットを購入しました。片道切符とかあこがれだったんですけど、意気地なしのわたしは、オープンタイプ?っていうのかな12ヶ月有効なチケットを選択しました。年末に帰ってくる気マンマンです。

購入したときにでてきた、出発まであと15日に度肝を抜かれて、日本にいる間にビザをゲットするまでの事はまとめておこうと思って、ブログ記事の日付がさかのぼっている事もお構いなしに書いていこうっておもっています。

 

さてさて、J1ビザがどんなもんかってのは前の記事で書いたんですけど、いわゆる交流・研修ビザであるJビザは、ビザの申請をするためにもいくつか書類が必要です。具体的に言うと、DS2019というアメリカのトレーニング許可証みたいなものと、DS7002というトレーニング内容を細かく記してある書類です。DS2019の発行は、個人でもすごく頑張ればできるとは思いますが、この書類の内容によってビザがとれるかとれないかが決まってきたりするらしいので、心配な方は仲介をしてくれるエージェントと契約するのがよいと思います。

わたしは、自分で頑張っていろいろするくらいなら海外なんてイカネ、くらいの気持ちでスタートしたので、いくつかのエージェントさんの話しを聞く事からはじめました。

大まかな流れを書くと 

(1)エージェントと契約

エージェントによって守備範囲が違うので、DS2019だけを頼みたい方は、受け入れ先を自分で探したり、アメリカでの受け入れ先も見つけてほしい場合には、会社選定や面接の手配などもしてくれたりと様々です。軽い気持ちだったわたしは、もちろん受け入れ先も見つけてもらいました。経験を考慮して。

(2)受け入れ先決定

ここは日本の企業面接に近い感じです。スカイプだったり電話だったりするとは思うんですけど。日系の会社であれば、面接といってもほぼ日本語なんじゃないかと思います。わたしも日本語で朝の6時とか深夜とかにしました。(時差の関係でとんでもない時間に設定される事もあります)

 (3)DS2019の申請

受け入れ先が決まったら、受け入れ先の同意書みたいなものをもらいつつ、こちらのトレーニング意思を確認してDS2019の申請にかかります。申請時に、DS2019の発行団体との英語でのインタビューがあることが多いようです。わたしはエージェントの担当者さんと、10分くらい英語で話しをさせてもらいました。めちゃくちゃだったんですけどなんか大丈夫でした。おそらく、わたしのエージェント自体がLAに本社があるので、発行団体との面接じゃなく、エージェントとのインタビューで済んだのかもしれないなーと、勝手に想像しています。

(4)ビザ面接

 無事にDS2019が発行してもらえたら、いよいよビザ面接です。

ビザの面接予約は個人でしたのですが、面接にもDS160という書類が必要で、海外に住むって簡単な事じゃないんだなーってここらへんで気がつきました。面接にもっていく書類も、並べる順番まで細かく指定されていて、あーもう逃げ出したい、と思ったのもここらへんでした。面接当日はもっと逃げ出したくなったりするだろうけど、思ってる程、領事館の人は鬼じゃないと思うので、大丈夫ですきっと。こんなに適当に生きてきたわたしが大丈夫だったんだから。

 

というわけで、駆け足で大まかな流れをかきました。この4つのステップを、出国までにもうちょっと詳しく書ければいいなーと思ってます。

今日は、勘で乗ったバスのおかげで山奥に迷い込み、新鮮な野菜の直売所を見つけて、茄子とスナップえんどうを購入したので、茄子とマメを調理してきます。そうめんに添えて夏らしさをアピールできたらいいんじゃないかなって思っています。

ではでは、まて次号。